10.07 Sat






納品を待つばかりのイタヤカエデのダイニングテーブル。
間もなく引っ越された東京に納品に伺います。



ずっと前に僕が作ったカエデのダイニングテーブルがあって、それは、たくさんの人と話しをしてきた特別なテーブル。
形は角。
名前をつけるのが苦手で、番号だったり分かりやすい名前をつけてきたことを思い起こす。

とてもシンプルな形だからこそ、そのまま作り手が出る仕事、これしかないというぐらい納得いくまで向き合って、ドキドキときめく気持ちの中でスッと作ったテーブル。

その気持ちをひとつ形にするならと完成(完結)したのが、出会いから4年後の、お店オープンするべく奮闘している中でした。



カエデの木に魅了され付き合いが始まったのは、僕が独立して1年目ごろの事で、仕上げたカエデを前にし、夜の静かな無限のような時間の中、ただただ眺めていたのを思い出します。
雨の音と昼間の温かな日差しは、僕のものづくりの夢をより一層膨らませてくれました。


たくさんの人と出会い、育ててもらいました。
家具を作りながら、木の美しさや物の価値を知ることはもちろんそうですが、むしろ、人の持つ生命力に気づかされてきました。
人が前に進もうとするときに、エールを送れるようにとびきりの家具を作りたい。


これからもオープンマインドで人に会い、
僕の見た希望や美しいなと感じた瞬間を、ひとつひとつ形にしていきたいと思っています。


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09.06 Wed
日本伝統の鉋を使い、指や手のひらの感覚を頼りに、木の削っていく。

それは機械で作ることとは、いろいろな違いがあると思うんですよね。





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自然の木なので、美しいと思う表情 や 心地よいと思う肌触り や なんかいいな って思う感覚は結構頼りになると思うんですよね。

22年、木を触り家具を考えて作ってきて思うことですが、職業としては作ることに必要な技術や想像力はもちろんなのかもしれませんが、ワクワクするような気持ちを胸に、手や心で作っていくと本当に想像以上のものが出来上がっていくというなんだか温かい話が結局のところあるということ。

ものづくりが好きな人は、好きな理由なんて結局本当のところ見つからないぐらいに根で好きなんだと思うのです。


クラスに一人はいたじゃないですか、そういう子。
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08.14 Mon
提灯




盆踊り。
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06.06 Tue


先日、夕方から打ち合わせにクライアント宅へ。


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大切な人の本を、時間を超えいっしょに眺めているような気持ちでした。
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06.05 Mon
20代の頃から常々思っていたことがある。
それは過ぎ去っていく時間に対しての抵抗というべきか、時間という感覚から自由になりたい、もしくは一体になりたいという若さゆえの精一杯の究極の夢だったのかもしれないのだが、
「時間を超えたい」と思い続けている。
超えたいという言葉の大きさとは裏腹に僕の生命活動時間の大半は物作り中心で、寝ている間ですらそうだったのかもしれない。
だから、自由は不自由でもあるけど、たまに時間を超えるような感動や出来事に出会えることもあった。

時間を超えたいと思いつつも、まずは自分の信じたものと一体になりきることしてきたのだと思った。



そして僕の日々そのものである物作りのシンプルな立ち位置としての職人の世界では、古い技が現代の技をすでに超えていることはよくあるわけで、温故知新のような古き良き時代や技にロマンを抱くことは多分にある。

不思議だが、見たこともない風景や会ったこともない人たちに、希望を持つことは多い。
素材をそのものを人の力でこれからの物(家具)を生むことの凄さみたいなものをダイレクトに感じていた。
1999年に独立をしたてに下駄箱を相談してくれたクライアントから始まり、
人々と日々が連続して今日までつながっている。

人と会い、家具が生まれる。

会ってすぐに生まれることもあるが、時間を超え10年15年と必要な時間を経て、生まれることもある。
家具の完成は新しい日々の始まりであるし、過去と未来をつなげる合図でもある。



2009年に作品展を開いた。
デザイナーズウィークに参加する形であったものの、僕自身の人生にはその時ほど魂が揺さぶられていたことはなく、作り手として発信するしかなかった。
過去と未来をつなげる覚悟として。

「感覚の記憶」ということをテーマにする以外考えられなかった。
原風景のように、感覚は深くつながっていく。
今見ているものは過去になるけど、感覚は体の中で何千回と再構築され続け生き続ける。
それは
頬をなでる風、触れた体温、子供の頃を思い起こさせるような香り、、、手のひらや体の五感に染み込むような感覚。


忘れない記憶を温かいものにしていきたい。

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03.10 Fri


おっ桜が咲いてる!
と思ったら、
近くで見ると、幹の佇まいが違うし、
梅っぽいけど違うし、桜でもないし、、、何かと思ったら、あんずだそうです。



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この畑にしばらくいました。
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03.06 Mon
なるようになっていく。

納品前のテーブルや最近作った窓の折れ戸や、15年ほど前に作ったチェストやもっともっと何十年も前からあった床。
そして最近補修をした時代も不明なフランスの椅子。
そういった時間がいいかげんに混ざり、心地よい場へといつの間にかなっていて、1日1日がつながっていることを、お茶を飲んでいるとき、肩の力が抜けたときに、何気に思ったりする。

客観的に過去を振り返るような落ち着きとともに。

そして新たな今日も、未来を見据えている。




ものを作ることの衝動や嬉しさは 黄昏の中にも同時にあるが、いつも人とのつながりを願っている。
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02.14 Tue





空はどこで見てもいいもんだなあ。
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02.03 Fri


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僕が試練のような日々が続いていた頃、必要なことが自分におきているって言ってくれた人がいるけど、本当にそう思える。
とても苦しくて、なんで自分だけに、、、って思って、他人と比べようのない羨むことも自惚れることもない自分そのものの境遇をいつの間にかすっと受け入れている自分がいて、らしく生きていくこと暮らしていくことの願いを楽しみとして、想うようになっていた。

「その苦しさや悲しみは、物を生む宮嶋くんにとっては絶対に良いことにつながると思うよ」と言ってくれた人がるけど、なんかその言葉が一番僕を支えてきてくれたし、たぶんこれからも支えになっていくんだろうと思う。


運命なのか、なんなのかはわからないけど、今いること全てが奇跡のような確率でつながっていて、少からず願いのようなものに導かれて、そこに立っていて、、。

野に咲くことに懸命になれる。



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01.30 Mon

「人生フルーツ」


何か面白い映画を見に行ったというよりも、しゅういちさんと英子さんに会いに行いく、そんな気持ちで映画館まで足を運びました。


とき「時間」については、僕なりにいつか越えたいと思っています。
時間を消費するんではなくて、時間に追われるんではなくて、時間を過ぎ去ることへの刹那的なことでなく、今を楽しむことを心底平穏にできるような自分がいつか来るといいなあ、、、と思っています。


年を重ねる、時を重ねる、普遍的な、経年変化の美しい、などなど、言葉は小さいですが、今という日々の連続を愛し未来まで続けばいいなあ、、という大きな願いです。


今日までの日々を自分の家族とともに生きてきたわけですが、
次の世代に(未来に)残したいことは、お金や結果ではないということだけは確かです。


「ときをためる」ということを深く思い、
土づくり畑づくり(アトリエ)での作物(家具)を作り続けていきたいと思っています。


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