04.29 Fri


水筒をしょって、支度を終えた長女。
出かける前に、ちょっと疲れる階段。

私はいつまで次女を抱っこして上れるのか、たまに不安!

毎日、この階段は、エクササイズになっている。


今日は一日休みなので、お出かけ。

近所でレンゲ畑を開放してくれるということで、前々から楽しみにしていました。
お花畑に連れて行ってと、せがまれていました。
いまいち花のアミューズメントパークには行く気になれずにいましたが、チャンス到来。
ありがたい。

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蜂に驚いています。
私が幼い頃は、まだまだレンゲ畑がたくさんありました。
家の周りはレンゲ畑とススキ林でした。
その風景はとてものびのびしていました。
そこでおもいっきり遊んでいました。

私たちの先人も、
どんな苦しい時代も、時たま、心を開放しながら、乗り越えてきたんだと思います。
長い道のりかもしれませんが、だからこそ気長に息抜きしながら負けず立ち向かっていきたいです。

我が家を作ってくれた宇野さんが原発の情報を知らせてくれています。
見てみて欲しい。見たことのない普通のブログ
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04.28 Thu


今日は、ようやく出会えたこのナラに、誓うのでした。

待っていてくれたんだと思います。
そして、私も待っていたんだと思います。

工房に迎え入れることになりそうです。

この気持ちは、
恋をしているようなそんな愛おしさを感じます。
だから、心を満たし、心を込め、はじめたいと思います。
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04.26 Tue
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明日は納品があります。

楽しみにしていて下さい。

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04.26 Tue


天板の裏側になります。なめらかに仕上げました。

201142602.jpg

天板の表側です。刃物の削り後を残しました。
触ると、とても気持ちがよいです。
触れた事のないような感触で、ドキッとして我ながら感動してしまいました。

表面の凸凹が、さまざまな効果を生み出しています。
きっと、使い込んでいいった際の、表情の変化は、
手仕事のゆらぎのある無作為表情と相まって、より味わい深いものとなると思います。

クライアントから勇気を授かり、得られた結果だと思います。

私は、生かされていると思えます。
私は、いつの間にか、自分以外の人や出来事に感謝できるようになりました。
自分中心でなく、一部だと思えるからです。
私の出来事さえも、一部だと思えるのです。
だから、自分で決めていることさえも、導かれているように感じます。
たぶん、自分の意志で決めるのとちょと違っていて、
それは外に出て、天気を体感して、その日のやるべきことをつかむのと似ているとも言えます。
また、物を作っていながら、それは山のような、また川のような、そういう場に身と心をゆだねているような、心の嬉しさに触れていると実感しています。


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04.24 Sun


私には、オリジナルの歌があります。
願いを込めた心の歌です。

それは、家具という姿をしています。


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04.22 Fri
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夜、
アイスクリームとヨーグルとを2対1で混ぜていたら、
何でもやってみたい長女が手伝ってくれるので、
なんでもスローなペースになる訳で、
結局アイスクリーム感はなく、
飲み物のようにドロッとしたデザートになりました。

つまみ食いしていく時が、一番美味しいです。

妻の高校時代からの友人が遊びに来ていたので、デザートを作ろうと思った訳です。
彼女の話ですが、
先日見てきた遺跡には、2011年にこういうことが起こることが記してあるそうです。
解釈は、滅びるということでなくて、変わるということらしいです。
こういうことを聞くと、私はくいいってしまいますが、

本気でそろそろ変わるのかな。

「変わろ!!」と妻と子供に連呼してしまいました。
いつもなら「何を?」とか「今のままで良いじゃん」という妻も「変わるといいね」と言っておりました。


人間の野生と知性で、立ち止まって考えてもいいのでは。


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04.22 Fri
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06チェアの革編み込みを連れて帰ってきました。
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04.22 Fri
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半田市まで、完成した籘編みの05チェアを納品してきました。
円卓に、01チェアとともに加わりしっくりいきました。

籘編みの魅力は、すごくって、、表現に困ります。

しなやかで軽やかでしっかりしていて、、、、

一番グッときたのは、
補修した場合の編み直した姿がまた良いところ。

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エントチェスト。
(エントランスから通り過ぎるような場に)







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04.20 Wed
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数日、考えていました。
荒削りした円の板ですが、ここから今日は削っていきました。

道具は円形の刃先の彫刻刀です。

削ろうと気持ちが入っていると変に力が入りますが、自分がそれこそ風になったつもりで(なりきる?)体を動かすと不思議なんですが一番いい感じに手が動く。エアーエアー?

ただ、この風はそよ風だったみたいで、一日中、削っても、全体を削りきれませんでした(笑)、、、。
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04.20 Wed

ドレッサーです。

奥行きは40センチぐらいで作ることが多いですが、
今回はクライアントの要望で、奥行きがもっとあります。
鏡がのるデスクみたいになります。

天板は、うっとりするような木の表情で出来上がりました。
こだわって良かったです。
昔から、堅木職人では、
木柄を決めていく根本的な作業である木取りは、一番むずかしい仕事と言われています。
切ってしまたら、やり直しはできませんから。
言ってみれば、命がけです。

20年前に、「命を削って仕事をしているんや」と、ある堅木職人が私に教えてくれました。
さて、この「命」は、どこにかかっているのでしょう。
自分の命でしょうか。木の命でしょうか。

20年前、私は木の命だと迷いなく思いました。

それから15年の月日が経ったある日、
ある若者が、その話をを聞いて「自分の命」と認識しているのに、強い違和感を感じたのを覚えています。

今、やはり「木の命」だとやはり思います。
実際は、木の生命活動は停止していて、作業は人のエネルギーを浪費している訳ですから、どちらかと言えば「人の命」を削っているかのように思えるのですが、、、。そう考えるなら、命を「削る」のでなく「与える」と思えてしまうのです。

実際は、私達のエネルギーも命の循環から得ている訳で、その循環の中にあって、
命を削って命を保存させているようなふうに思えて来るのです。

物づくりに正解はないと思いますが、ただ思うのは、人が思いを込めれる物をどうせなら作りたいし、そういう物の中で行きて行きたいと思います。
工業製品にだって感情移入できた時代はあったはずです。
問題は、作る側のプライドですし、愛情を持って接しているかです。

だから作っている側が、感情移入できるほどその物のことを生き物のような存在に思えているかどうかは、結構大事なことなんじゃなかと、、、。

そうそう、デスクと言えば、
私も、以前は大きな作業机を必要としていましたが、
今は、そんなに大きさはそれほど求めなくなりました。
無理なく手の届く範囲といったところでしょうか。

体を動かすのがめんどくさくなってきた(笑)?

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