
日常の中でわかっていくこと。
05チェアの籘編みしたものを、自宅の食卓に持って使ってみています。
自分で言うのもなんですが、とっても普通です。
僕にとってのオリジナルの椅子に、デザインの新しい古いはありません。
その時の僕からだからこそ、必然的に生まれたものです。
そもそも外見のデザインを優先したというような認識は薄いです。
むしろ、その家具存在感と言えば、外見という要素は、日常の中の出来事のひとつにすぎませんし、案外、使い心地のような感じる部分のほうが存在感としては、印象に残っていくような気がします。
そこに、外見という要素ももちろん入っていますが。
機能美という言葉がありますが、僕がデザインを学んで(そもそも学ぶものではないと思いますが)いた頃は、その道具の「機能」と「美しさ」が、共存しているもののことかと思っていました。
用と美のバランスというのは、とても緊張感があって、創造するには、愉しい事柄だと思います。
少なからずいろいろ経験をした今は、機能というもの自体に、心の喜ぶことを加えている感じです。
とかく機能というとクールな印象がありますが、
実はとっても人間味溢れる要素であって、それを作り手が温かなメッセージ(コミュニケーション)として、機能という役割に変換できるのだと思ってきています。
もう少し言うと、そこに結果として「美」というものになるべくしてなっていくのかな?とも真面目に考えたり(思ったり)しています。
しかも、「美」というもの、それは作者である僕はそれを信じて追求してはいきますが、僕が判断することではありません。
ただ、生み出す経過に僕なりの感動(心が導いてくれる)があっての道であったことは確かです。
そうこうして出来上がったオリジナルというものは、
とても大切な独自のスープのようなもので、日常の葛藤と喜びから納得(わかった)もので、内面から自然に表面に現れたものです。
現に、01チェアのその時の思い(13年前に出した納得)は今も変わりません。それが01チェアの個性ですし、05チェアにはないものがあります。
心に響かなければ、そもそも依頼を頂くことはないと思いますし、たぶん、僕の人生とクライアントの人生が一体になった時に、そのスープの出番が来ているのだと思います。
人生をかけて(命とまでは言わないが)全身全霊で出来あがったものですから、
真面目にそんなことを思えるのは、なんだか、ありがたいです。
明日(もう今日ですね)は、05チェアとロウテーブルの納品に、瀬戸市まで行ってきます。
クライアントとも、2ヶ月ぶり再会なので、とても楽しみです。