
lowtable / nara soapfinish+SUS
ぼくも自宅で使っていて、なんか好き。
北海道のクライアントには、いつもの鉄のラフな感じとはひと味違うステンレスを提案。
ロウテーブルは、なくてもすみそうであるが、あると落ち着きます。(実感を持って、、)

Frame 1.2 / nara oilfinish
子供の絵の記念に額縁のご依頼

Frame 3 / nara oilfinish
リビングにアートを、ということで額縁のご依頼。

Frame 04〜11 nara oilfinish
Frame 12〜18 nara soapfinish
なかなかいいフレームなのでA4サイズで15ケ限定 13,000円でどうぞ。

木が成長し、地中の水道管に不具合を起こす。
店に、自然に育った木だけに、バッサリと切倒す決断ができない。根を切り、剪定をした。
個人店の八百屋でも料理屋でも、人を迎え入れるのは同じ。
どんな人が何を求め訪れるのか、それは一期一会。
なじみの人もでき、「12月までに作って欲しい」と
一年終わりまで楽しみを共有できる。いったい何を提案することになるのだろうか、自分にもまだわかない。
あっと言う間に1年は過ぎる。
でも、過ぎてく速度は年々少しづつ増していっているように感じるが、
不思議なもので、過ぎた日は遠くないまま在る。まるで昨日のことのようだ。
おそらく、気持ちが変わらずいるからだろう。
日常は、過去ではなく未来でもなく、常に進行形である。
未来は永遠に未来のままで、これからも思い巡らすだろう。
過去は過去でまるで昨日のことのように鮮明で、まるで、長い一日の始まりようだ。
店を持ち、実社会に開けている(すぐ会える)ということは、人が動き心が触れ合う。
いつの時代もとてもとても意味のあることだ。
人と出会い、一喜一憂し、明日が生まれる。

20歳の頃から日常の中に、カメラがあった。
愛していることがあるからカメラが必要だったわけだ。
好きなものには、偶然にできた美しい瞬間があり、不思議と眺めていると気持ちを含めいろいろと前へ進めてくれる。
現実を現実としてみな同じように捉えているとは考えにくく、
愛している人とそうでない人では、まるで見方はかわるのはよくわかる。
その真ん中あたりの心境でいることは、
そんなに個人の人生において意味はないように思う。
より愛していることを、より愛していく日々。
そんな日々を積み重ね、8年愛用したカメラがついに壊れた。
ホントありがとう。
最近は、だいたいの用件はPCメールにて、すませている。
電話で連絡することは、いつのまにか、まれになった。
メール依存度が高くなったからか、ぼくの方から、平日に電話を直接することが、
どこか悪いような感覚がある。
それでも、たまたま、手早く確認をしたいことがあったため、クライアントに直接(?)電話で連絡をした。
クライアントは愛知県の方だが、去年から仕事の関係で北海道で暮らしている。
用件の確認が終わると、思わず「北海道は寒くないですか?」と、
むしろそれが聞きたかったかのように、北海道の冬に適応できているのかなどと、話を進めてしまった。
これだけ、ネットで情報が入るのだからそんなことはユーチューブでも探せば、北海道の日常ぐらいは見てとれるのだろうが、する気にならない。
7年前、長女が産まれたその日に、そのクライアントは来店された。
子供が産まれたんです!と話した。
そのご夫婦は、後日、出産祝いを持ってきてくれた。
そして月日が流れ
そのクライアントが、
家族が増え、北海道に越され、家具を待っていて、、
そして思わず「北海道は寒くないですか?」と話し出た。

名古屋の今日は、雨降る温かな冬日であった。

完成したスツール。
今回使用したサドルヌメの革肌は、繊細でふんわりして、うぶ声が聞こえてきそうなほどである。
それでいて、サドルらしい芯の強さがあって、なかなか気にいった。
ブラックチェリーの木肌も、焼けていないサーモンピンクで、ここに作為のある仕事が入ると、
とたんに浮きそうだ。
今回は、裏張りの帆布もなくした。極限まで突き詰めた結果でもある。


NO-MA へ
http://www.no-ma.jp/
滋賀県は流石に歴史的にもそういう文化が根付いているのはもちろんだが、
比べ、愛知県は遅れているが、
もうそう意識を持ってアクションを起こしている方がいらっしゃるみたい。
広島にも、高知にも、、福井にも、、全国続々とそんな動きがある。
個人的には、
作品のバックボーンに、IPS細胞(再生医療)到来の時代であるからして、
よりプリミティブな芸術に垢抜けた希望を感じる。
何かがおこりそうだ。

帰ってきました。
流石に、今日の場では河村市長はあそこまで名古屋弁はきつくなかったですね。
申請をしている代表の方をはじめお母さんたちが、実情説明と改善をお願いしました。
母親が話す生の声の本当に困っている今の実情に、
市長、議員の方、教育委員の代表の方、母の会の代表の方、その部屋にいた全ての人は、
、その理不尽な現状に怒りすら覚えたことでしょう。
どうも、県と市との間に、
ボーダーレスで包括的な取り組みがなされていないのが問題のようです。
単純に
どうしてやさしくできないのでしょうか?
河村市長が現実を把握できれば、これから枠を超え、変わっていくのかもと思いました。
もしかするとこの子達は、人の心を動かす力を持っているのかもと思いました。
生きることを教えてくれます。
そつなくまとめた牢屋のような枠はいりません。
ぼく個人としては
とくかく、新しく一歩を、やってみればいいと思っています。
お母さんやお父さんは、がんばりがいのある日常を求めています。
怖がることなく社会にどんどん交わっていきたいと思っています。
現実が現実を作っていくと思っています。
何がおこるかわかりませんが、夢すら持てない枠だけ消してほしいものです。
そこで、もがくかもしれませんが、失敗も苦労もあるかもしれませんが、がんばれます。
クオリティーオブライフの意味を、もう一度考えたいと思います。