
昨日一日費やし、材料や打ち合わせなどに出ました。
今度、ローテーブルに使うチーク材です。
厚みは45mmもあり、直径800mmの円形の天板にしては、十分すぎる厚みです。
幅400mmぐらいあるので、なんと奇跡のような贅沢な二枚はぎで完結できるかも。
当初の予定より、仕入れが高くついてしまいましたけど、
それ以上の価値はあると一目見ただけで、確信しました。
この木で作るテーブル製作の緊張感は、なかなか楽しいものになりそうで、今から楽しみです。
その他、松の木なども見てきました。
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日本人は、パイン材をナラ材と同じぐらいの価格を出してまで求めることは、ありえないという常識が根底にあるため、なかなか質の良いパイン材が日本には入ってきません。売れないものは売ろうとしない。
いいかげん良く理解できました。
ないなら、覚悟を持って個人的に、まとめて輸入していくことになりそうです。
そういうのって、結構今までもありましたけど、最終的に他人の意見は参考にまったくならない領域になってきます。
まるで非常識な領域に入ったかのように寸前まで思えるのですが、抜けてそっちの領域に入ってしまうと普通だったりして、価値観が違うと、用意されたものは常になく、ちょっとめんどくさいけど、いいものはいいので、しょうがないですね。
まずは、素材が良くないと。
良い悪いの価値は、社会背景の都合を無視したほうがいいですね。
それが、案外むずかしくて、立ち向かう勇気がないと、簡単にながされます。
ぼくの場合、論じることはまったく無意味で、現実にできるかどうかが大事なことなのです。
人はいろいろ言いますが、関係ないのです。
いいものはいい。
日本の林業が、建材中心で回っていると、サイクルが早くて、大きな時間を蓄えた松とは巡り合うことは少ないのでしょう。
下心のある公共事業ってそうとう強引だし、流れを変えてしまうので、微妙です、、。
正しくないことを平気でやってしまうし、、、心がないから、無責任だし、ギリギリだしロマンないし。
すぐに線ひくし。
基本、森が豊かでないとたくましく木は育たないですよねっ!
木が育つから、森が豊かだし、水も蓄えるわけだし、空気が違うし、恵みもあるわけだし、
そういう循環と持ちつ持たれつの関係を、ありがたい森の背景を、ふるさとのように愛している土地の木はやっぱりすごいし。
どうしてこんなにも日本人のスケールが小さくなってしまったの?(ぼくも含む残念!)
何が豊かかわからないけど、少なくとも自然とも仲良くないと、味気ない。
電気を消して、空を見れば月も空もすごいし、心を癒しつづけてくれる。
癒してくれるんだけど、1人で空を見上げても変わらないんだよね。
いっこうに社会が賢くなっていく予感がしないんだよね。
グチっぽくなってます。
あ〜晴れないかなー。