恵那市の住宅のクライアントから任されているダイニングテーブルに使う木を仕入れにきました。
十分大きさも厚みもあり、申し分のない材ばかりでしたが、
100枚ぐらいは、衝動にかられるほどのものはなく、スルー状態で見ておりました。
その中で、お!?っと思ったものが数枚ありました。
他の材に比べて、ちょっと加工上の工夫が必要ですが、キラリと光るものには、そういう難はつきものです。
先端のこの部分は使えるかどうかわかりませんが、水で濡らして、色身を確認だけしました。
悪いところ検査的な感じはしませんでした。そういうのって衝動に対して無意味。
目の前に立つだけで、十分、伝わってきますからね。
こちらの檜は、ただならぬオーラを感じました。
ありがたくて、スリスリしたくなりますね。
スケール感が鈍るので、
ぼくを入れて撮影して頂きました。ありがとうございます。
よくよく、見ると、○○教となっておりました。
神聖な宗教建築に使われるのでしょうか。
でも、納得です。
逆に、残念なことに、こういう木が消費されるための材料となるとしたら、なんだかとてもさみしいです。
いや、どの木も同じ。
作り手は人生をささげる覚悟を持って、作ってちょうどいいぐらいです。