木の塊

なんだろう?この美しさ。なんの機能も目的も担っていない木の塊。
年輪に沿って、われが入っていて、そのまま成っている。眺めているだけで、不思議な安心感のような落ち着きを与えてくれる。「これ、かっこいいですね!」という方がいて、「これ、かっこいいんですよー」と変な会話が成り立つ。
ひょっとして、この気持ちのまま作るということを、今までしてこなかったのかもしれない、、、と、思ってしまうほど凹む。このまま、ありのままの感動とはそういうもののようで、心が洗われる。
いつの間にか、家具というジャンルのようなものに、捕われている自分がいて、家具として満足いくものを作るノウハウや創作のスパークと経験による職人技が積み重なり、どんな条件でも良い家具を作るプロになってしまったぞ、という自覚と、それを壊したいという何かがある。
ぼくが作るのは商品でなくて、目の前のクライアントの心が求めている家具。
だから、そこに精一杯のぼくの出来る限りの結果を届けることに、努めている。
この塊をみて「これ、かっこいいですね!」ということから始まる。
だから、そのままを家具にできないのだろうか、、、。
家具なんだけど、家具という境界を越え、もっとありのままの喜びと一体になりたい。

なんだろう?この美しさ。なんの機能も目的も担っていない木の塊。
年輪に沿って、われが入っていて、そのまま成っている。眺めているだけで、不思議な安心感のような落ち着きを与えてくれる。「これ、かっこいいですね!」という方がいて、「これ、かっこいいんですよー」と変な会話が成り立つ。
ひょっとして、この気持ちのまま作るということを、今までしてこなかったのかもしれない、、、と、思ってしまうほど凹む。このまま、ありのままの感動とはそういうもののようで、心が洗われる。
いつの間にか、家具というジャンルのようなものに、捕われている自分がいて、家具として満足いくものを作るノウハウや創作のスパークと経験による職人技が積み重なり、どんな条件でも良い家具を作るプロになってしまったぞ、という自覚と、それを壊したいという何かがある。
ぼくが作るのは商品でなくて、目の前のクライアントの心が求めている家具。
だから、そこに精一杯のぼくの出来る限りの結果を届けることに、努めている。
この塊をみて「これ、かっこいいですね!」ということから始まる。
だから、そのままを家具にできないのだろうか、、、。
家具なんだけど、家具という境界を越え、もっとありのままの喜びと一体になりたい。