たくさん作りたい家具がある。
どれでも作っていいのならば、どんどん作りたい。
新作という言葉は微妙なんだけど、今、その衝動が強いすぐにでも作りたい家具がある。
それが今の僕ということになるのかも。
20年家具に向き合ってぼくなりに懸命に過ごしてきたけど、まったくもって何かをゴールとか、
もうこれ以上ないとか、そういうのがまったくない。
経験は創作を呼ぶから、次から次へと、また作りたい家具、また見たい時間が出てくる。
椅子ひとつとっても、本当に深い。
同じ座る家具だってソファも深い、似ていてまったく違う安楽椅子だって魅力。
テーブルなんていったら、天板をいかに尊重して道具にするかって考えていくと無限にあるし、家具は人の体とのハーモニーや共鳴を見ようとそれば、どんどん世界は広がっていく。
なにせ、本当に美しい木というものが、無限にあるし、それに気がつき命を吹き込んだ時に、ふっと感じる確信のようなものは、ゆるがない。
これからである。


どれでも作っていいのならば、どんどん作りたい。
新作という言葉は微妙なんだけど、今、その衝動が強いすぐにでも作りたい家具がある。
それが今の僕ということになるのかも。
20年家具に向き合ってぼくなりに懸命に過ごしてきたけど、まったくもって何かをゴールとか、
もうこれ以上ないとか、そういうのがまったくない。
経験は創作を呼ぶから、次から次へと、また作りたい家具、また見たい時間が出てくる。
椅子ひとつとっても、本当に深い。
同じ座る家具だってソファも深い、似ていてまったく違う安楽椅子だって魅力。
テーブルなんていったら、天板をいかに尊重して道具にするかって考えていくと無限にあるし、家具は人の体とのハーモニーや共鳴を見ようとそれば、どんどん世界は広がっていく。
なにせ、本当に美しい木というものが、無限にあるし、それに気がつき命を吹き込んだ時に、ふっと感じる確信のようなものは、ゆるがない。
これからである。

