
次女、8歳になりました。
ハンディーがあるので、ボクの感覚としては1〜2歳ぐらいの感じですが、家族はごく自然にその日々を楽しんでいます。
8年も重ねてくると馴染んできます。
目でこの世界を見せてあげたい、とかそういう親の願望みたいなのは、なくなりました。
そもそも完璧な状態で生まれてきているんだろうな、、と思うこともあります。
得意不得意、できることできないこと、備わっていること備わっていないこと。
ごくごく当たり前と思っていることが、最初から「ない」人には「ない」ことが当たり前で、それを受け入れるっていうとなんだかおおげさに感じますが、そういう言葉よりも「普通」という無意識になっていくことのようです。
ボクが独立し家具を作るようになったときから、なんとなくだけどぶれずにずっと思っていることが、それに似ています。
無垢材での家具作りをこの社会で普通なことにしていきたいと。
普通って何だろうっていつも思います。
一見普通までに及ばない家族の日常の暮らしには、苦労と同じぐらい幸福があるのかもしれません。
満たされないことを満たすために暮らすのではなく。
今に感謝し、健康を願い、分かち合い、人生を楽しむ。そのために誠実に働く。
ただ今日がありがたく、家族や友人や縁あって知り合った人といっしょに過ごす時間がありがたく。
次女、ずいぶん大きくなりました。
オリジナルのかわいさがあります。