08.30 Tue
rattan chest / black cherry  

本体が形になったので、扉のラタンの編み込み。
ラタンも美しいものは貴重で、ヨーロッパのほうでも人気があるために、そちらに流れていってしまうだとか。


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昔、ぼくが小学生のころの思い出。
母の実家の縁側には、美しい籐編みの椅子が置かれたいた。
それこそ、美しい日本建築である。
今なら、こだわりの庭付きの蕎麦屋みたいだ。

縁側の椅子のそばには、うちわも置いてあった。
そのうちわもとても簡素で粋な姿をしていた。

一度どんな木が家に使われているのか、おばあさんに尋ねたことがあった。
ヒバ、ヒノキ、スギ、エンジュ、ツガ、ケヤキ、クリ、山桜、建物にはいろいろとこだわった木が使われていた。
名前も全て言えるほど、どこに何の木を使っているのか説明できるほどだった。
おばあさんは、それだけ、木と家を愛していたんだと思う。

家具もいろいろ珍しいものがあった。ケヤキ、セン、黒檀、柿。
そして、籐で作られた椅子。

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小学生のぼくは、その椅子をどうやって座るのかわからないまま、寝転んだり、本を読んでみたり。
うちわで扇いでみたり。

小学生には大きめサイズのその椅子は、その存在が大人っぽかった。
姿は威張っていないんだけど、なんだかほっこりとするのだけれども、堂々とした佇まい。

寛ぐためのものということが、寛ぎを求めていない小学生のぼくには、
「この良さがいつかわかる日が来るんだろうな、、」という大人の物であったのだ。

デザインに興味を持ち、デザインを学び働き出すものの、「なんか違う」という気持ちでしかなかった。

本物の素材が好きだったと自覚するのは10代では無理だった。
オーセンチックな天然素材で品良く作られた物。
それらが経年変化で美しくなっている様が、たまらなく心に沁みこんでいたのだ。

ラタン編みは、そんなおばあさんの思い出だ。

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修行時代におばあさんの家を尋ねたことがあった。
知っている家だったのに、感動がたくさんあったのだ。
あらためて目ではっきりと見たラタンの椅子や建具や家具たちはさらに時間を貯め込んでいた。
オーセンチック素材たちは、なんとも美しく、深く、輝き、軽やかに、重く、静かに話しかけてくれた。
何も説明いらずの、物たちの言葉は今も尚、ぼくにいつも安心を与え続けてくれている。

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