02.10 Fri
kulumi wall shelf


クライントのKさんが、形になった家具を見に(会いに)来てくれてから1ヶ月過ぎた。
その祭に、愛着を持っているカメラで撮影してくれたもの。

カエデという木で家具を作るときにいつも感じていたことを先日ブログに書いた。
木に奇跡の美しさを感じ、その素材を判断してもよい清い心になる必要があった。
それはむりやりなるのではなく、迎え入れたときからドキドキして高まる気持ちを緊張感とともに、神聖な行為に自然となっていくものであった。

清く美しくという言葉はが嘘くさく感じているようではまだまだである。
本当にそうなるのだから。

加工する数日前から、心の準備は始まり、時には始まりは10年単位で始まっていることもある。

普遍的というのは、物のことではなく、生み出すものの良し悪しではなく、
良いも悪いもない生き抜く自然さにあると思っている。
神様のように神聖なことを作ることはできないから、その恵みに感謝することで生き抜いていく。

感謝の気持ちの持ち方も、僕には僕なりの心の行き場があって、そこには静かな感動がある。
お祭りのようなことはできないけど、日々に感謝を積み重ねていくことはできる。

純粋に畏れを持つことや、それでも近づきたいという気持ち。
ドキドキとワクワクの共存を自分自身の心の中に、落としていくことである。

素敵な家具を作るために一番大切なこと。

とても神聖な気持ちで迎え入れた憧れの美しいものを、自分の判断で切断し材料にしていかないといけないのだ。
躊躇う気持ちがなくなるまで対話する。

誰も正解を教えてくれない。
答えは自分自身の中にしかない。


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