今日は、午後から妻と長女がお店を手伝いにきてくれた。
お客さんの子供たちと、楽しげに遊んでおりました。
このテーブルを見て、
「これ、いいねえ〜」「こいうのいいねえ〜」って、素直に言うね。
ホント、いいよ。
水で濡らして、木の色みを見ているところ
接着していないので、がんばれば外せるのだけど、できればこのまま搬入したい、、、。
今週は他の仕事をして、来週いよいよ仕上げです。
パソコンや写真で見て情報を知っておられ、わざわざ実物を見に来られ、実物は写真とは好い意味で全然違った、、とおっしゃる方が多いです。
それは、木を吟味して、わざわざ一点一点作っているってことは、それだけ違い出るからこそ、取り組んでしまっているわけで、職人しか出せない違いっていうものが必ずあって、それは写真ではわかならいけど、実物を前にすると無意識に感じてしまってわかってしまうものだから、、かな?
だからボクの場合、写真は逆効果だったりするのかな?
実際に合って、その人のために創作するというのは、ありのままが出てしまうので、ぼく自身がどんな人間なのかはどうやったってすぐわかるところがイイと思っています。
お互い生身の人ですし、敬意と立場からクライアントと言いますが、生活を豊かに願い創作するプロセスは、どうやったって家族のように親しみを持ってしまうわけです。その一線は、神聖な敬意であります。
出来上がったものを見て「ほんとに頼んでよかったです!」と思わず抱きしめられてもおかしくないな、、、と思うような喜びを目の当たりにすると、やっぱりそういう喜びをまた見たいと思う気持ちもあります。
あの人に作ってもらいたいと思って、実際にご依頼までに至る理由のひとつがあるとするなら、昔ながらの職人の心意気と職人技でしか作れないことにチャレンジしていることもあるかもしれませんが、とにもかくにも創作が好きという性分が、喜びとなってやる気となり、実際に会うと、活力が伝わっていくような感じがします、、。
時代がどう変わっても、
ぼくが、唯一ハッキリと言えるのは、生涯にわたり一職人として家具を作り続ける、ということです。
写真も逆効果かもしれませんが、ぼくのこの文章だってプロではないですし、まあまあ、逆効果かもしれませんね(泣。
ちょっと考えさせられます。
ずっと使っていなかったフロスの照明器具。
ぶら下げるフック付きで、その機能がなかなか面白いデザイン。
家に戻ってきたら、なにげに窓のカーテンレールにぶら下がっていた。
窓とカーテンレールとopenな食器棚と好きな生活雑貨と、それらのみなが、手を取り合って一気に握手した感じ。
味わいの出た漆喰と飴色のハードメープルもいい感じだし、ハードメープルと硝子瓶に注がれたメープルシロップも絶妙にボクの心を満足させてくれた。
やっぱり、道具は使って活きてくるし、何気ない暮らしこそ、とてもクリエイティブに満ちあふれていて、それこそ生きる楽しみでもあるし、、、
デザインやアイデアで、ちょっとした風合いのように香るよう、暮らしを豊かに楽しくしたいな。