05.11 Thu
板の仕入れ


あるデスクを作るためと、あるダイニングテーブルを作るために、
どういう材料で作ったらいいのか迷いはない。


でも、そういう都合のいい材があるわけではない。
そういう材がありそうな予感を頼りに動くしかない。





この板なら生かせるかも、、
この板はテーブルになるときっといいだろうな。
この木はなんなんだ、、、
この木を生かした家具を作りたい。
心がざわついたり、心が閉じたり開いたり、もっと進みたくなったり、逃げたくなったり。

畏れも抱きながらときめく。
不思議なものだ。

職人として段取りというのは欠かせない大切なことであるが、
トキメキということを頼りに動いていると、予定外だったり、何かしらの脱線ルートに立たされている時がある。

手を動かして削りたくなる。
その気持ちはいったいなんなんだろう。

思い出の建築情景なのか、思い出の中の自然の情景なのか、それとも未来への希望への創作意欲なのか、
心がキュンとなってそしてトキメク。

手を伸ばしただけでは掴めないのは知っている。
板はお金で買えるけど、掴みたいものはお金で買えない。

正当な権利を買って、あいさつをして、その舞台に立ち、体を動かし、心を込めて、トキメキのスパークが起これば、いつの間にか掴んでいるかもしれない。

確実ではないけど、予感だけは強くする。

この道を行けば見つかりそうな気がしているということである。
いくつも途中に分かれ道は待っているのも知っている。
本当のこと。




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屋根はすごい。
屋根は巨大な傘だ。





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この頃、寸法の厚みへの価値観が変わってきた。
正しくは、変わったのではなく、物差しのあて方が変わったのだ。
より自然なあて方なんだろう。






水を濡らすと、汚れも流され表面の木肌の色が出てくる。
木が水を飲む。

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風にあたり乾いていく。
そんな日々が繰り返されて、順番に乾いていく木。
3年近く経過した板や、2年ぐらいしか経過していない木や、何十年と経過した木だってある。



デスクを作るために仕入れたブラックウォールナットの板。
もちろんこの板は去年に、何度も確認していて、ずっと良い感触が残っていたものだ。
そしてデスクの依頼の中で、この板の残っている感触を頼りに設計図を描き、
先日仕入れることを決めたもの。

でも、あらためて現物を見ていると、作ろうとしている家具を
もっと木に歩みよりたくなるし、最高のものにしたいという気持ちが高まる。
設計したものを上書きするかのような、もしくは、混じりけをを濾していくような、、、そんな気持ちが生まれている。

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あらたな出会い。

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普通に良いものは、そんなに、、、、。
それを超えていくモノやコトってなんなんだろう。

自分の心や経験や想像と共鳴して、気持ちがあがり続け
一体になる。

畏れながらもチェレンジしたくなる創造につながる出会いは、
万が一ぐらいの奇跡のように感じている。





栗の木。


栗の木は、木目の読み方や作るときの心境で、ずいぶんと変なものになってしまうと思っている。
30年ぐらい苦手だった木。

でも今日は違う。

たまに、ほんとたまに、苦手でなくなる。


それと、苦手だった栗の木の生かし方がわかってきた。
栗の木と向き合うことが多くなったのもあるけども、
栗の木を無視せずに、ちゃんと苦手に見える事実を、受け入れてきた成果だとも思っている。

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大きな栗の木。
曲がりは大きい。素直に曲がっているのが面白いと思った。





あるダイニングテーブル用のクルミの板。
長く分厚い。
色も良い。
黒く染めるから色は関係ないように感じるかもしれないけど、、、。
木目の導管の感じや、雰囲気が良い。
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でも、裏までワレが届いている。でもこれが良いな。
すぐにでも削りだしたい。
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