08.23 Wed


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長いこと時間がかかった。
はるか昔からものにしたいけど、できなかった。

作り方だったり、ちょっとしたことが気に入らないと、ものまでにならない。

やっとだ。やっと。

じわじわと喜びが来る。


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04.30 Sun

懐かしい手紙が出てきました。

今まで面談をし出会った若者の履歴書を見ていました。
その中には手紙もあり、彼の思いが綴られていました。



2006年の1月18日の文章(日記)に胸に何かが突き刺さった様で涙が止まりませんでした。
とありました。

その当時のホームページ状の日記(今はリンクしていない)に何を書いたのか、自分で調べてみました。



以下 2006年1月18日 の日記より



1/18 フスフスと。
寒くない!全然寒くないんで、家具作りは実に快適である。
体を動かせば、汗ばむほど。ブラックウォールナットの香りと、ナラの香りがミックス。そしてストーブの臭い。休憩のコーヒーに香り。
一冬の思い出になっていく。

なんだか、最近強く思う事がある。以前にもまして強く思う事である。
それは、僕ら無垢材で家具を作る職人の事である。素材と対話し、いかに楽しく作るか、そして愛せるか。製作中に同じ時間が流れるとは限らず、人によっていかようにも楽しくも苦しくもなる。
こんな時代だから言うが、いかに「愛」を抱きながら、その家具を作るか、自分ときちんと向かい合って正直にそして素直に勝負できるかである。
去年から、建築業界の信じられないような現実のニュースを耳にするが、同じ物作りをしている人間として、すごく腹立たしい。そして痛い。

自分の仕事にプライドをもっていれば、単純な作業などの仕事時間さえ愛おしく思えるのに。
あたりまえの事が、適当にされる程マヒするような物作りなら止めたほうがいいと思う。
そのあたり前の事に、むしろ欠かせない重要な事があるのかもしれないし、あたり前の事がなくなった状況になって、貴重さが身に染みるってもんだろう。その時既に遅しである。
お金をもらい仕事をしている事の、意味と現実をよく把握し理解しなければ、クライアントに感謝すらできず自分自身を愛せる物作りなんてできる訳ない。と強く思う。

仕事をする以前に、愛情のある人間である事が大事だと思う。
そういう意味でも、修行というものの大切さを感じる事ができる。
すぐお金お金(効率優先)と結びつけようとする情けない物作りからとは違った世界で、純粋に物と格闘する時間は、とてもとても大切である。そうした物を理解できて初めて、仕事として成立していくものだと思う。
簡単に出来上がってしまう物が多すぎて、昨日まで素人なのに、突然プロとして報酬を得るような物作りは危険だ、と僕は思っている。
物を作れば、金になるという時代なんか最初からない。逆に、どんなくだらない物だって、人によってはものすごく大切な事だってある。
いかに大切にしてもらえるかどうかは、愛してくれる人に対して愛されるべき物をつくる事ができるかどうかである。
僕は、自分の作っている家具に関しては、ものすごく自信をもっている。けど、現状の自分の能力にも常に反省もしている。家具職人として生涯をかけたいと思っているから、終わりなき、葛藤は覚悟しているし、そんなにいい事ばかりある訳なく、逆にいい話しなんてある訳ないと思っている。だから、どんな逆境も覚悟の上で、少しでも素敵な事があれば、それで十分人生楽しめる。
自分の毎日、すなわち私的木工人生においては、絶大なる希望と野望、そしてある意味絶望さえ、とっくに覚悟している以上、自分に嘘と不安はなく、よってこれから先、僕が納得して作り出して行く物達に関しては、ものすごく自信がある。

でも、どんなに家具作りに磨きをかけたところで、一人の人間としての「すごさ」みたいなものは上がる訳でもなく、謙虚である事の意味を失う方が、むしろ恐怖である。
とにかく、「仕事=お金」とすぐに直結する若者は要注意である。あなたの仕事はちゃんと仕事として成立するまでに至っているのか考えるべきである。
謙虚な考えが自然に芽生えれば、素敵な作り手として仕事をしていけるだろう。まあ、金持ちにはなれんけどね。
仕事に情熱を注ぎ、生き甲斐にしたいなら、覚悟したほうがよい。
まず、諦める事からはじめる。いろんな事を諦めて、仕事に専念すべし。そして、物作りに専念し、費やした時間と思いの分、酬われると信じてがんばるのみ。
何年たっても、それは同じ。そう僕も生涯修行中だろう。





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02.10 Fri
kulumi wall shelf


クライントのKさんが、形になった家具を見に(会いに)来てくれてから1ヶ月過ぎた。
その祭に、愛着を持っているカメラで撮影してくれたもの。

カエデという木で家具を作るときにいつも感じていたことを先日ブログに書いた。
木に奇跡の美しさを感じ、その素材を判断してもよい清い心になる必要があった。
それはむりやりなるのではなく、迎え入れたときからドキドキして高まる気持ちを緊張感とともに、神聖な行為に自然となっていくものであった。

清く美しくという言葉はが嘘くさく感じているようではまだまだである。
本当にそうなるのだから。

加工する数日前から、心の準備は始まり、時には始まりは10年単位で始まっていることもある。

普遍的というのは、物のことではなく、生み出すものの良し悪しではなく、
良いも悪いもない生き抜く自然さにあると思っている。
神様のように神聖なことを作ることはできないから、その恵みに感謝することで生き抜いていく。

感謝の気持ちの持ち方も、僕には僕なりの心の行き場があって、そこには静かな感動がある。
お祭りのようなことはできないけど、日々に感謝を積み重ねていくことはできる。

純粋に畏れを持つことや、それでも近づきたいという気持ち。
ドキドキとワクワクの共存を自分自身の心の中に、落としていくことである。

素敵な家具を作るために一番大切なこと。

とても神聖な気持ちで迎え入れた憧れの美しいものを、自分の判断で切断し材料にしていかないといけないのだ。
躊躇う気持ちがなくなるまで対話する。

誰も正解を教えてくれない。
答えは自分自身の中にしかない。


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11.01 Tue
23歳の時の日記 


1995年 11月 6日 水曜日
 
日記を書いていても正直にかけない。
というよりもこれだという手答えがない。
今思ってることを正直に素直に。

僕はお店で物を売る。
自分達がやっている事を少しづつ
世の中に出してゆく。
それがアートとよばれる物であれ
道具として使われるものであれ、
人が大事にしたいと思う物を作る。
大切にしてゆく心を(個人のこだわり)
大事に理解してゆく
思い出とか年をとる事とか、悩む事とか
時を刻むのに、あればもっと素直に
時を刻むことになるであろう物たちを売りたい。
だから僕は今その人たちに申し訳ないことが
ないように物を作る事と物を買う事の
人にとっての重要な『思い』を勉強しているのだ。

だから簡単には行かせたくない。
間違ったものを置かせない
自分たちに自信を持って売っていける生きていける心でいれる
ように正直に行こう。
この道が僕の道になった。

美しい物たち
みんなを幸せにできる物たちに
たくしてゆこう。

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11.01 Tue


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長い時間の中で出来上がったサンプルがたくさんある。
家具を作る前の試行錯誤した時間には、楽しさや美しさがこもっている。

またそのサンプルは、たくさんの人の目に触れ、褒められてきた顔になっている。
経年変化とは違う味わいがある。

使われて活躍をしているサンプル。

本当に数々の思い出とともに蘇るのはその熱。
クライアントとの思い出。
弟子たちとの思い出。
季節や年齢とともに蘇る熱。
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10.13 Thu
一枚板探し 2nd
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先日候補として抑えた板以外に、候補をしぼり、さらに比較しながら確認に行ってきました。
候補だったものも、素晴らしく、ただ板厚がもう少し欲しいところ。
60mm仕上がりぐらいにしたいと思ってはいるものの、
板の表情や曲がり具合の姿など、いろんな要素が素敵。
50mmを超えていくと、存在感が勝負なところもある。
もちろん持てない重さである。
好きなのに圧倒されるほど。

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どんなテーブルにするのか、そこには唯一無二の板というものがまず存在していて、
そしてその板の個性と条件が一致するか、またそれを超える価値を見出せるのか。
この自分に何ができるのか。

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悩む。

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水を濡らし、木目や表情、色味を確認。
この表面の表情ももちろん大切だが、
その表情を作るその木そのものの成り立ちがあってこその断面であることを忘れてはならない。

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このチークの表情が素晴らしく、触るだけでも嬉しい気持ちになる。
この板の場合は2枚使いらしいものにできなければ、使う資格はないと思うほど。
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09.29 Thu
大きなテーブル用の耳付きの一枚板探し。

厚みもどっしりと感じるもので、佇まいの良い板を見つけたい。

どんな板も魅力はある。
それぞれの板にあった家具があると感じる。

作りたい家具のために、板を見つけようとしているのだけれど、
板のほうが、自分にふさわしい形を待っているのである。

そうであるべきだと思う一枚板でのテーブル作り。


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しばらく板探しの日々は続きそうである。
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09.10 Sat

先日、Kさん宅に最終の打ち合わせに伺った際に、久しぶりにこのアームチェアを見ることができました。
ピアノチェアのアームタイプです。
僕はこのアームチェアが好きなのですが、お店に展示していません。
だから、Kさん宅に行く度に、新鮮な気持ちで見ることができるのです。


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08.16 Tue
先日、打ち合わせの際に、クライアントが持参された本。

ピエール・ジャンヌレの本。
家具というより、その時代の建築にどうしても目がいってしまう。

すごく洒落てる。





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従兄弟であるル・コルビュジエと。
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07.09 Sat
クッション 




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ちょうどいいのがなくて、ちょうど気に入るのがなくて、ちょうど素敵なのがなくて、ちょうど気持ちいいのがなくて。
ちょうどいいクッションを作る。
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